貧しくても幸福に生きる日々

金儲けに必死にならず、楽な生活をお伝えします。

お金に込められた感情を想像する

お金(貨幣・通貨)というのは商品やサービスを媒介する優れた概念です。その交換可能性は無限なので、ほとんどの人はお金に価値があると信じ、お金を多く得ようとします。貨幣経済の中では自然な事ですし、時代と共にどんどん供給される商品やサービスが充実し、私たちの暮らしは豊かになっているように見えます。しかし一方で、税金として事あるごとにお金を取り上げられますし、労働から得られるお金の量は、労働の過酷さと比べてバランスが悪くなっているのではないでしょうか。

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いわゆる経済学については人に語れるほどの知識がないので、「お金には気持ちが付いて回るのではないか」という思いつきを記事にします。

一般的にお金を稼ぐのは良い事だとされています。逆に大きなハンディキャップもない成人が、全くお金を稼がないと無職だとか穀潰しだとかの誹りを受ける事もあります。しかし、お金を稼がなくても世の中に良い影響を与える人は多くいますし、お金を稼ぐ過程で世の中に悪い影響を与える人も少なくないでしょう。私は稼ぐ金額の多寡よりも、周囲や社会に与える影響の良し悪しについてもっと注意深く観察して、評価するべきではないかと思っています。ただ、影響といってもいろいろな見方ができるので、単純化の方法としてお金の動きに人間の「感情」をセットにしてみたいと思います。

例として昨今話題になるソーシャルゲームについて考えます。コンプガチャ規制とか、課金上限設定というニュースがありましたが、そもそも何がソーシャルゲーム業界を儲けさせているでしょうか。上質な娯楽の提供でしょうか?私はユーザー同士を競争させて一部の勝者に優越感を与える事が、ゲーム会社の利益の元だと思います。ゲーム会社の売り上げの対価は勝者の「優越感」「虚栄心」「収集欲」であり、敗者の「悔しさ」や「復讐心」でしょう。これらの感情はゲームという架空の世界で生み出された人工的な感情です。ゲーム運営者はユーザーの欲望を煽れば煽るほど儲かるのですが、フィクション上の勝利や所有に対して欲望を煽る行為はお金を稼ぐ方法として褒められるでしょうか。

一方で生協や移動スーパーなど、自宅の近くに商店が無い買い物難民に喜ばれる事業があります。利用者の支払うお金は、買いに行くのが大変な生鮮食品や重いお米などを自宅やすぐ近所まで運んでくれることへの感謝があるのではないでしょうか。あるいは美味しいものを食べる喜びや、生活必需品を手に入れる安心など、実際の生活に根差したポジティブな感情が、支払うお金と一緒に事業者へ贈られているのではないかと思います。

お金の価値は何にでも交換できる無名性、色の付いていない事だと言われますが、私はお金に感情という色を付けて考えてみたいと思います。同じ金額なら「嫉妬」や「欲望」の色が付いてるお金よりも、「感謝」や「安心」の色が付いたお金と関わりたいと思います。あなたもご自分の貯金や財布に入っているお金に、どんな感情が付いてきているか少しだけ想像してみてください。