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貧しくても幸福に生きる日々

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ロミオとジュリエットがどうして悲劇になったのか

ロミオとジュリエット」といえば世界一有名な恋愛悲劇として、誰もが知っているお話でしょう。しかし実際に上演されている舞台を見たことの無い人も多いかもしれません。それでも今は録画された舞台の映像が専門チャンネルで流れる事もありますし、何度も映画化されているのでそれを見た人も含めれば世間の多数派になるのではないでしょうか。

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私も最近まで特に興味もなく深く知らなかったのですが、縁あって舞台のビデオを見たところ、そのストレートな面白さにすっかり関心しました。もちろんシェイクスピアの代表作とも言えますし、面白いのは当然なのですが、時代背景などを調べ始めるとその奥深さにも驚きました。

主役の二人、ジュリエットは14歳、ロミオも同じくらいの設定ですが、この若い二人が恋に落ちて、やがて不運なすれ違いから二人共生命を失います。その大きな要因の一つが二人の生まれた家同士の確執というのは有名な設定ですが、ではどうしてこのジュリエットのキャピューレット家とロミオのモンタギュー家は不仲だったのでしょうか。

初めてロミオとジュリエットが上演されたのは16世紀末だと言われていますが、舞台上の時代は14世紀とされています。シェイクスピアは当時30歳前後、イギリスの演劇界で気鋭の作家として、200年前のイタリア北部の都市ベローナでの物語を書きました。ロミオとジュリエットのプロットは、ギリシア神話や先人の物語などにも類似したりほとんど一致するものもあり、完全にシェークスピアオリジナルの作品とは言えないようにも思います。しかし、詩人としても優れた作品を残したシェークスピア独特の詩的なセリフによって、不朽の名作として完成したと言えるでしょう。

さて、14世紀のイタリア北部はどのような状況だったでしょうか。ベローナはそれほど有名な都市ではないかもしれませんが、ベネチアとミラノの中間地点、ローマから真北に位置する交通の要衝でした。中世のイタリアはそれぞれの都市国家が自治をしているような状況でしたが、ドイツにその中枢を持つ神聖ローマ帝国と、全キリスト教徒の頂点であるローマ教皇の両方から庇護を受けていました。皇帝派と教皇派に分かれた都市同士での争いや、都市国家内での貴族による派閥争いは熾烈を極めたと言います。その派閥争いがロミオとジュリエットにおける皇帝派のモンタギュー家と教皇派のキャピューレット家の確執として取り入れられたのです。

さらに遡れば貴族や領主が自分の土地に作った教会の神父を自分で選べるという叙任権(指名権)について教皇側と争った時代がありましたし、神聖ローマ帝国という「帝国」も、非常に複雑で理解の難しい国家です。シェイクスピアはそれらの争いや諍いが落ち着いた時代に、外国からそれを描いたというのが興味深いところです。

当時のヨーロッパの状況についてこれから勉強する予定なので、また理解が進んだら加筆するか新しく記事をつくるかしようと思います。今日はこれくらいで。