貧しくても幸福に生きる日々

金儲けに必死にならず、楽な生活をお伝えします。

憎しみを超える愛を

トラブル対応や家族優先の生活ですっかり間が空いてしまいました。
このブログを始めてからは一月以上がんばって毎日更新したのですが、しばらく途切れると義務感から解放されてしまって日常に精一杯でした。

私のように、不動産トラブルなど理不尽な目に遭うと普通は相手方を憎んでしまいます。私自身もできれば憎みたくはないけれど、感情は自由にコントロールできるものではありません。憎しみというのは痛みと同じような、外部からの刺激に対する反射なのではと思います。

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それに対し、愛とは意識的な営為です。誰かを抱きしめるとか言葉にして伝えるとかそういう肉体的な行為に留まらず、胸の内で思慕し、その人の幸福や安寧を願うのは自然な反射を超えた能動的な所為なのです。

つまり肉体を過度な刺激から守るために痛みを感じるように、精神を過度なストレスから守るために生まれるのが憎しみではないかと思います。場合によっては憎しみよりもむかつきとか怒りと表現した方が適切かもしれませんが、それを繰り返し感じていればおそらく憎しみへ収斂されるでしょう。

動物的な、あるいは原始的な精神機能である憎しみを、私たちはなるべく感じないように遠ざけて生活しています。本来ならば世界に溢れる暴力や不正や圧力に対し、もっと怒って憎むのが自然ではないでしょうか。しかし日常的に怒りや憎しみを感じ続けるのは大変なので、意識的に視野を狭めたり、いつの間にか感情が鈍麻して正しく憎めない精神構造ができてしまいます。

怒りというのは人間にとって必要な感情であると思います。それを押し殺すのではなく、過剰にならないように発露させるのが健全です。しかし何かに対し、誰かに対し怒り憎むという事は、本当は何かに愛着を持っている証拠でもあります。怒りや憎しみを感じた時は、自分が何を本当に大切にしているのか、何を愛しているのかを改めて知るチャンスでもあります。

それが正義や正直さ、常識や伝統や調和だと気付いた時には、今まで以上にそれを愛してみてください。きっと憎しみは二の次になって、爽やかな気持になるでしょう。

もちろん上手くいかない時もあるでしょうが、怒りや憎しみの根本に焦点を合わせる習慣を心がけてみてください。