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夫婦のコミュニケーションで言葉の意味は重要じゃない

私は結婚が比較的遅くて、今時は全然珍しくないですけどお互いに30過ぎて、そこそこの大人になったつもりでいた歳でした。いわゆるできちゃった結婚でもないし、よく話し合って両親にも相談した上で入籍したんですが、それでも結婚後の生活においてはすれ違いが毎日のようにありましたし、今だってそれなりの頻度であると思います。

それまで完全に他人同士だった男女が、ある日を境に家族になって同じ環境で暮らすというのは実はとても難しい事でした。比較的育ってきた環境も近いと考えていたんですが、いざ夫婦生活が始まると食事掃除洗濯という家事生活の基本の考え方がまるで違っていて、やっかいな事にどちらも自分が正しくて相手が自分に合わせるべき、または合わせて欲しいと考えてしまう性格なのでかなりケンカのように主張し合ったこともありました。それでもなんとなくお互いの優先順位を表明したりくみ取ったりしながら、譲れない部分は何とか譲ってもらって、譲れなくもない部分は譲ったり譲らなかったりしながら生活してきました。
そのうちに子供にも恵まれてまた生活が変わるわけですが、今の時点で思うのは夫婦のコミュニケーションに「言葉」は大事だけけれど、その言葉の「意味」はそれほど大事じゃないということです。

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表現が難しいんですが、夫婦で交わす言葉なんて半分以上挨拶みたいなもので、相手に声をかけて何か返事が返ってくるというただそれだけで安心する効果があると思います。「私の話聞いてなかったでしょう!」みたいな言い合いがないこともないですが、内容を理解してもらえなくてもとりあえず話しかけてみる、分らないけどとりあえず反応しておくみたいないい加減なコミュニケーションが毎日顔を見る相手とはちょうどいいように感じています。
会社みたいな目的がはっきりしている組織だと、正確な情報共有や上意下達が当然重んじられますが、夫婦や家族は目的のために集まったわけではなくて、集まりたいから集まったし、自然的に構成された集団なので意味よりは感情を共有することがコミュニケーションの目的なんだろうなと思います。
気になっていろいろ調べると、コミュニケーションというのは元を辿れば何か共通のとか共同のとかいう意味のラテン語から来てるそうなので、情報を共有するのもコミュニケーションだし、気持ちを共感し合うのもコミュニケーションだと思うので、夫婦の場合は共感してもらう、共感してあげることを目標にすれば上手くいくんじゃないかと思います。

 

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