貧しくても幸福に生きる日々

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熊本の地震から防災を考える

地震の被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げます。私の住んでる地方では大きな揺れを感じませんでしたが、報道によると下から突き上げるような大きな揺れがあったそうです。

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阪神淡路大震災東日本大震災と並ぶほどの震度7、熊本城の石垣が壊れるほどの歴史的な地震ですが、どれほどの被害になるのか本当に心配です。20回を超える余震がこの記事を書いた時点でも続いており、被災地の方の不安な気持ちを想像すると胸が苦しくなります。
私のように幸いにも直接被害に遭わなかった、また被害者の方を直接救助したり救援したりできない場所にいる立場としたら、これを他山の石とするのが大切だと感じます。
今回は熊本県を中心とした地震でしたが、明日には自分の住んでいる場所が震源になるかもしれません。そうなった時のために、できる限り被害を減らし、隣近所と助け合える体制を考えなければいけません。
今思い付くのは、夜間の地震に備えて部屋の出入り口や家の玄関などに懐中電灯を用意しておく。寝室の布団やベッドの周囲にはタンスなどが倒れないような突っ張り棒などを設置する。何よりも隣近所にどういう人が住んでいるのか、何かあった時に救助の必要があるのかを知っておくのが大事でしょう。マンションなら管理組合など、戸建てなら町内会などの団体で、どの家にどういう構成で人が暮らしているのかを把握できるようにしておくのが望ましいのではないでしょうか。
また公園や学校など、近くの避難所を確認し家族とも避難先を予め決めておきましょう。3日分程度の飲み水と保存食も家族分用意するのが望ましいでしょう。バールや金槌などが必要になる場合に備えて、分かりやすい置き場に保管しましょう。ガラスや瓦礫の上を歩いても大丈夫なような、底の厚いスニーカーも一足は持っていた方がいいでしょう。
今回LINE Outという、音声通話回線へ発信できるLINEのサービスが通信を混乱させるとして批判を受けましたが、安否確認などは災害発生から多少なりとも時間が経ってから行うのがよさそうです。肉親や友人が無事かどうか、一刻も早く知りたい気持ちは誰もが同じでしょうが、その通話が救急や消防など緊急電話の妨害をしたとしたら、被災者の命を分ける事にもなりかねません。発生直後はテレビなどで状況を正しく把握しつつ、安否確認は電話以外のメールやメッセンジャーTwitterFacebookなどで試みた方がよさそうです。また、今回のような大規模災害が起こった場合には災害ダイヤル(171)が開設されます。NTTのwebサイトで平時でも体験できますから、一度使い方を確認しておいた方がいいかもしれません。
また、誰かを助けられる立場になるには、自分の被害を最低限に抑えなければいけません。常に災害に備えるのは難しいですが、こうやって大きな災害が起きた時こそ、いつか自分が被災する時に備えて少しでも備えをしておきましょう。

ショッピングモールは平日に

都心に住んでる人はあまり縁がないかもしれませんが、郊外や地方の住民にとってイオンモールなどの大型ショッピングモールは一種特別な場所です。普段テレビで見ているお店や商品が一堂に並び、まるで都会にいるような気持ちにさせてくれます。

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しかし土日や連休などには大勢の人が集まり、駐車スペースや食事をするお店もなかなか見つからないほどの混雑になるところもあります。ですから、私はなるべく混雑しない平日に行く事にしています。仕事の関係でどうしても土日しか出かけられないという方は、平日の夜か土日でも夕方以降がお勧めです。

私はほとんどショッピングモールで買い物しませんが、並んでいる商品を見ることはとても参考になります。良くも悪くも「大衆:マス」に向けた店と商品が大規模に集積していますから、世間の消費活動について体験的に知る事も少なくありません。最近は日用品などのデザインも良くなった割に、値段の安いものが多い印象です。衣料品は頻繁にセールをしますし、安くなければ売れないトレンドが続いているように思いました。一方で、食品を中心に国内産、地元産の安心感や品質を付加価値にしようという流れも続いていて、良い商品を生産できれば、全国へ流通させたいバイヤーが多くいるのではないかと思いました。

良いモノを長く使うのが賢い消費だと思うのですが、そのためにはショッピングモールで売ってるよりも少しだけ多めにお金を払い、より高品質のモノを手に入れるべきだと思います。安いからという理由で必要性の薄いものを買うと、安物に囲まれた貧しい生活になってしまいます。何かを買う時には、それが本当に所有する必要があるのかどうかを吟味した上で、長く愛用できるモノを選ぶのが理想です。

金銭的に豊かである事と、生活的に豊かである事は無関係ではありませんが、当然イコールでもありません。豊かな生活にはまず時間的余裕が必要で、次には物の質を見る確かな目が必要です。その次にそれを買うための経済力が必要ですが、重要さで言えば3番目くらいだと私は思っています。ショッピングモールの膨大な量の商品を眺めていれば、自分が使うべきモノの下限が分かるような気がします。

多くの商店や会社はいわゆる「一生モノ」を売りたがりません。それが売れたら二度と商品を買ってもらえなくなるようでは、将来の売り上げが不安になるからです。使い捨てカミソリのような、死ぬまで使い続ける、買い続ける商品が売る側としては理想なのです。昔は某電機メーカーの製品には、保証期間後に壊れるような細工がしてあるのではという都市伝説が流行りました。それがある程度の説得力を持つくらいに、メーカーは次々に新しく買い替えさせようとしています。ただ作る側、売る側の都合で消費を続けさせられないためには、本当に自分が愛着を持てるモノを見つけなければいけません。ぜひショッピングモールに行ったらその商品群を見て、より良いモノを選ぶ目を養ってみてください。

図書館を利用するべき7つのメリット

あなたは日常的に図書館を使っていますか?もし使っていなければとてももったいない事だと思います。今日は図書館を積極的に使うべき理由を挙げてみたいと思います。

 

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1.無料で本を利用できる

公立の図書館は原則的に無料で利用できます。書店での立ち読みも無料ですが、2週間から4週間も自宅に持ち帰って読めるのはとても大きなメリットです。

 

2.インターネットで蔵書を検索できる

全ての図書館で利用できるとは限りませんが、私の知る多くの図書館では、館内の端末からだけではなく、インターネット経由でどこからでも蔵書の検索ができます。一般の利用者登録とは別の申し込みが必要な場合もありますが、何か調べ物で気になった時に自宅からその資料の有無を確認できるのはとても便利です。そのまま予約もできる図書館も多いでしょう。

 

3.貸出期間が決まっている

これは購入した本に比べれば一見デメリットですが、世間に「積ん読」という言葉があるように、買ったからといって全ての本を読破できる訳ではありません。特に仕事や趣味で忙しい人ほど、まとまって読書の時間をつくるのが難しくなっています。だからこそ貸出期間をその本に集中する期間として考えれば、手当たり次第に購入するよりも結果的に多くの本を読める場合があります。

 

4.思わぬ本との出会いがある

一般書店と同じように、図書館の書架で本を探していると、近くに並んだ同じ作家や同じ分野の本と期せずして出会う場合が珍しくありません。これはAmazonなどネット書店に比べるとアドバンテージと言えるでしょう。しかも気軽に開いて内容を確認できますし、金銭的負担無く追加で借りる事もできるでしょう。読む本のジャンルを広げるには、図書館に行くのがとても有効です。

 

5.図書館のネットワークを利用できる

図書館にも国会図書館から大学図書館、公民館の図書館や移動図書館まで様々な規模があります。もし生活圏に規模が小さく蔵書の少ない図書館しかない場合は、図書館のネットワークを利用しましょう。公立の図書館同士は相互貸借サービスを行っていて、近隣の図書館に蔵書が無い場合でも、他所から取り寄せてもらう事ができます。これを使えば一般の書籍はほぼどれでも借りて読む事が可能なので、ぜひ利用してみてください。

 

6.リクエストもできる

ほとんどの図書館は蔵書して欲しい書籍のリクエストを受け付けています。それが全て購入されるとは限りませんが、良い本を蔵書してもらうのは他の利用者の利益にもなる事なので、積極的にリクエストして自分にとって充実した図書館になってもらいましょう。

 

7.自分の本棚をスリムにできる

個人の蔵書が多ければ多いほどいいという人もいるでしょうが、本が増えれば場所を取りますし、重さも相当なものになります。2階の床が抜けたとか家が傾いたという話もありますし、賃貸住宅に住んでいたり仕事の都合で引っ越しが予定されている場合などは、蔵書もほどほどに留めておく方が賢明ではないでしょうか。図書館を利用すると、所有して常に身近においておきたい本と、少し時間と手間はかかるけれど、図書館で借りれば済む本に分けて考える事ができます。近くの図書館を自分の書庫だと思えば、お金もスペースも節約できますから、住居を選ぶ時の大きな要素に徒歩圏内の図書館という発想もありますね。

 

TSUTAYAの指定管理などが話題になった図書館ですが、まず私達が今の制度で利用してこそ、より理想的な図書館の形態についても考える事ができるでしょう。私も機会があれば積極的に意見を出したいと思います。


お時間があれば図書館について書いた別の記事もご覧ください。


図書館「超」活用術 最高の「知的空間」で、本物の思考力を身につける

自分なりのエコロジーを見つけませんか

エコロジーとは英語で書くと「ecology」で、辞書を見ると人間を含めた生物と環境の相互作用を研究する学問、生態学の事であり、生態学的に見た環境の意味もあります。一般には、地球環境に比較的良い事全般の意味でも使われます。

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しかし何が環境に良くて何が良くないのかはとても難しい事です。例えばペットボトルをリサイクルした繊維で作った服は環境に良いような気がします。しかしそもそも飲み物を持ち運ぶためにプラスチックのボトルを使う事が環境負荷が少ない事かと言えばそうでもないでしょう。今でも高速道路のサービスエリアなどにある、紙コップのベンダーは、コーヒーや清涼飲料水の元となる粉末を、内部に引き込んだ水道水と合わせてその場で混ぜます。補充するのは粉末なので軽くて多量に運べますし、水分は水道管から取れるのでペットボトルやアルミ缶よりも比較的環境負荷は低いでしょう。しかし外出先で自販機を使うよりも、自宅から水筒などを持参した方がさらにエコですし、結局のところ私達が見聞きする多くの「エコ」は特定の商品やサービスを売ろうとする供給側のセールストークになっています。
より地球環境に負荷の少ない、他の生物に迷惑をかけない生活を心がけるならば、テレビや雑誌でアピールされるエコ商品とは別の判断基準が必要になってきます。それは個人個人で違っていてもいいと思うのですが、私の場合は「そのモノを自然に還すためにどの程度人が手を加えないといけないか」を基準にしています。これは言い換えれば持続可能性の問題ですし、世代間倫理とも言えると思います。例えばペットボトルは、作られるのに原油を採取し、様々な石油製品に精製し、それに熱や圧力をかけて成型するという過程があるでしょう。またこれを自然に還すには、特別な微生物を用いるか、人間の寿命よりも遥かに長い時間をかける必要があります。つまり、ペットボトルは相当に人の手がかかる作られ方をしていて、人の手をかけなければ自然に還らないという意味でも私はエコロジー的ではないと判断します。
飲み物を運ぶなら、竹で作った水筒などなら、比較的作られ方も簡単ですし、土の上に放置すれば長くても数年ですっかり分解されるでしょう。
常に地球環境や生物学について考えながら生活するのは疲れますから、ぜひ自分なりの単純な指標を持たれる事をお勧めします。

ロミオとジュリエットがどうして悲劇になったのか

ロミオとジュリエット」といえば世界一有名な恋愛悲劇として、誰もが知っているお話でしょう。しかし実際に上演されている舞台を見たことの無い人も多いかもしれません。それでも今は録画された舞台の映像が専門チャンネルで流れる事もありますし、何度も映画化されているのでそれを見た人も含めれば世間の多数派になるのではないでしょうか。

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私も最近まで特に興味もなく深く知らなかったのですが、縁あって舞台のビデオを見たところ、そのストレートな面白さにすっかり関心しました。もちろんシェイクスピアの代表作とも言えますし、面白いのは当然なのですが、時代背景などを調べ始めるとその奥深さにも驚きました。

主役の二人、ジュリエットは14歳、ロミオも同じくらいの設定ですが、この若い二人が恋に落ちて、やがて不運なすれ違いから二人共生命を失います。その大きな要因の一つが二人の生まれた家同士の確執というのは有名な設定ですが、ではどうしてこのジュリエットのキャピューレット家とロミオのモンタギュー家は不仲だったのでしょうか。

初めてロミオとジュリエットが上演されたのは16世紀末だと言われていますが、舞台上の時代は14世紀とされています。シェイクスピアは当時30歳前後、イギリスの演劇界で気鋭の作家として、200年前のイタリア北部の都市ベローナでの物語を書きました。ロミオとジュリエットのプロットは、ギリシア神話や先人の物語などにも類似したりほとんど一致するものもあり、完全にシェークスピアオリジナルの作品とは言えないようにも思います。しかし、詩人としても優れた作品を残したシェークスピア独特の詩的なセリフによって、不朽の名作として完成したと言えるでしょう。

さて、14世紀のイタリア北部はどのような状況だったでしょうか。ベローナはそれほど有名な都市ではないかもしれませんが、ベネチアとミラノの中間地点、ローマから真北に位置する交通の要衝でした。中世のイタリアはそれぞれの都市国家が自治をしているような状況でしたが、ドイツにその中枢を持つ神聖ローマ帝国と、全キリスト教徒の頂点であるローマ教皇の両方から庇護を受けていました。皇帝派と教皇派に分かれた都市同士での争いや、都市国家内での貴族による派閥争いは熾烈を極めたと言います。その派閥争いがロミオとジュリエットにおける皇帝派のモンタギュー家と教皇派のキャピューレット家の確執として取り入れられたのです。

さらに遡れば貴族や領主が自分の土地に作った教会の神父を自分で選べるという叙任権(指名権)について教皇側と争った時代がありましたし、神聖ローマ帝国という「帝国」も、非常に複雑で理解の難しい国家です。シェイクスピアはそれらの争いや諍いが落ち着いた時代に、外国からそれを描いたというのが興味深いところです。

当時のヨーロッパの状況についてこれから勉強する予定なので、また理解が進んだら加筆するか新しく記事をつくるかしようと思います。今日はこれくらいで。

はてなブログでGoogle AdSense(グーグルアドセンス)に申請できない問題について

数年前からプロブロガーだブログ飯だとすっかり収入源としての側面が認知されたブログですが、いくらかの収入を得ているほとんどのブロガー(以後ブロガーと表記します)が使っているツールがグーグルアドセンスでしょう。

記事内容にマッチした広告がグーグルによって自動表示され、比較的高いクリック率と広告料で最も利用者の多いマネタイズ方法になっています。実にポピュラーなサービスのはずですが、どうやら先月あたりから仕様が変更になり、はてなブログなど無料のブログサービスではアドセンスのアカウント登録ができない状態になったようです。

申込時に広告を表示させるサイトのurlを記入するのですが、このブログのアドレスではエラーになってしまいました。はてなブログをはじめとして、無料のブログサービスはサブドメインで運用されています。つまり「xxx.hatenablog.com」というurlの頭の「xxx」がユーザーIDとなっていますが、それ以降に「hatenablog.com」は全てのはてなブログに共通です。

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このサブドメイン方式では、開設間もないブログでも検索に強いので多くのブロガーに利用されてきました。しかし、おそらくグーグルでは広告出稿サイトのコンテツクオリティを上げるため、無料で開設・運用できるような素人くさいサイトを排除しようとしているようです。

そうすると今後アドセンスを利用して収入を得ようとする人は、まず独自ドメインを取得してサイト運営を始めなければいけない事になります。はてなブログでも有料サービスのproを申し込めば独自ドメインが利用できるようなので、私も検討してみようと思います。

それにしても、私がこのブログを始めた直後の仕様変更でちょっとツイてないなというのが率直な感想です。

庭仕事をすると心が落ち着く理由

ジョジョの奇妙な冒険」シリーズで有名な漫画家の荒木飛呂彦さんが、コミックス57巻のカバー裏に土いじりをすると落ち着くという話を書いていました。自分に似た人というテーマで、ファッションデザイナークリスチャンディオールを引き合いに出されていました。

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私も今日久しぶりに草を引いたりしたのですが、無心になってとても気持ちのいい時間でした。庭には国によって大きな考え方の違いがあって、たとえばフランス式庭園では植え込みを幾何学的に配置するような特徴がありますが、日本庭園では全体がアシンメトリーであり、自然をできるだけ多く取り入れる特徴があります。しかし共通するのは、植物の成長に道筋をつけて、自分たちの美意識を表現している部分でしょう。

庭園や園芸は、人間の技術だけでは決して完成しません。植物と太陽と水と、自然の力に人間の作為が加わって初めて成立します。マンションのベランダで花や野菜を育てるのも、お屋敷の日本庭園でも、イングリッシュガーデンでも基本は同じ事です。植物を育てる作業に関わると、人間の限界を知る事ができます。天気や気温は完全にコントロールする事は不可能なので、私たちにできるのはその結果を見て調整を加えるだけです。また、土に触れ植物に触れていると、人間もやはり自然の一部だと思いださせてくれます。植物が無心に成長して花を咲かせ実を付けるように、私たちも無心に生きてやがて死んでいくのが自然な姿なのかもしれません。

もちろん、私たちの日常生活では仕事をしたり社会と関わったり、不自然な苦労が多くありますが、時々は一個の生物である事を思い出す時間が、澄んだ気持ちにしてくれます。よく「忙しいという字は心を亡くすと書く」と言われますが、人間らしい心を忘れないためには、自然と触れ合う時間を意識的に持つといいのではないでしょうか。都会に暮らしていると難しい場合もありますが、たとえば公園の芝生に寝転がるとか、窓際やベランダで好きな草花を育てるだけでも、きっと効果はあると思います。