貧しくても幸福に生きる日々

金儲けに必死にならず、楽な生活をお伝えします。

言葉は少ない方が価値がある

私の古くからの友人にとても社交的な人がいます。彼は男としてはおしゃべりな方で、遮らなければ何時間でも一人でご機嫌に話を続けます。最近その彼を見ていて感じた事ですが、結局一人の人間が語れる内容というのはそれほど膨大ではないし、近い環境で生きている人ならそれほど差もないという事です。

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つまり、身近な人同時が何かを語る時、そこにいる誰もが何かしら話したい聞きたいという気持ちでいたとしても、価値のある内容というのはそれほど多くはなく、ほとんどは既知の話題であったり調べればすぐ分かる事実であったりします。しかし、人間の内実の差以上に、語られる言葉の量というのは差が大きいものです。ある人は言葉を選んで必要最小限のフレーズで伝えようとしますが、ある人は装飾や例えを多様して内容を大きく膨らませた分量を語ります。それは結局はその人の性格や個性でもあるのですが、しかし意識的に調整可能な個性です。
私はなるべく言葉を少なくして、誤解されぬように短く喋るのが好みですし、実際そのようにしています。しかし残念ながら感傷的な表現や共感を省きすぎると冷たい人だと評価される場合もあります。実は損得で考えればやたら言葉の分量を多く喋る人の方が社交的で親しみやすいと感じられる傾向がありそうです。しかし、その人との付き合いが長くなれば、何だか内容に乏しくて聞いているのが疲れるという感想を持ってしまいます。ですから、可能ならば初対面や付き合いの浅いうちは社交的に、積極的に喋るようにして、だんだんと装飾や無駄をそぎ落とした言葉選びに変えていけば時と共に信頼を得られ易いのではないかと思います。

以心伝心という言葉もありますが、言葉にせずとも思いが伝わるというのは両者が同じ理想や目的を見据えている時の特殊な状況であって、日常に期待されるものではありません。私たちは言葉にしなければ他人に何かを伝える事は叶わないし、言葉にしてしまえば意図しない事をも伝えてしまう場合があります。伝えたい事を過不足なく伝えるというのはとても高度な技術が必要ですし、相手によってコミュニケーションの方法を変えなければいけません。そのためにも、常日頃から必要な言葉を短く選ぶ癖をつけて、必要に応じて加飾する臨機応変さを身に着けたいものです。