貧しくても幸福に生きる日々

金儲けに必死にならず、楽な生活をお伝えします。

誰かに喜ばれる事を喜べれば幸い

幸せとは何かってよく考えるんですけど、人によって違いもあるし、同じ人でも年代や状況によって違ってくるしなかなかシンプルに言い表すのは難しいと思います。

例えば年収が2000万円くらいあって、貯蓄も2億円くらいあれば幸せな人もいるでしょうし、年収は200万円だけど愛する家族に囲まれて幸せって人もいるでしょう。でも金銭的な指標ってあまり幸せとは直結しないと思います。結局金銭によって手に入る何かだったり、しなくていい嫌な事だったり、将来の平穏だったりという事を期待しているんだと思いますが、お金そのものは私たちに快楽や安全を提供してくれません。それらと交換が容易なのは確かですが。

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身の安全だったり衣食住の不安を感じている人というのはそれほど多くないと思います。もし衣食住に事欠く人がいれば、国民の権利として役所に行って生活保護の手続きをしてもらえばいいのです。日本では最低限文化的で健康な生活は保障されています。その上で幸福にかんしては直接保障されているわけではなく、追求する権利を有すると表現されているのです。

つまり最低限の生活はさせてもらえるけれど、幸福に生きようとするならば個人がそれを追求しなければ勝手に与えられるものではないという事を日本の憲法や法律は示しています。これは幸福を感じる状況であったり対象であったりが個人個人でバラバラであるので、自分で手に入れてくださいと一人一人が委ねられているのです。ですから、幸福になるためにはまずどんな状況が幸福と感じるのかを自分で知らなければなりません。

親や社会に流されていればいつの間にかいい大学を出ていい企業に就職して、いい人と結婚して子供にも恵まれて幸せになっていたという人もいるでしょう。でもそういう人はごくごく少数ではないでしょうか。世間のほとんどの人は、どうすれば幸せになれるのか多少なりとも考えて、自分なりの結論に従って努力したり我慢したりしていると思います。しかし、自分がこうなれば幸せだろうという目標が達成されても幸せを感じられない人がいますし、幸福感が長続きしない人も珍しくありません。

人間はそもそも変化するものですし、よほど高齢にならなければ日々成長できる存在です。そして変化したり成長したりすれば何を幸福と感じるかも変わってしまうものなのです。それを知る前には幸福だと感じられなかったような事が、知った後では何よりも幸福を与えてくれる物かもしれません。それは例えばお酒だったりセックスだったりドラッグだったり、あるいはスポーツでの勝利や子供の存在かもしれません。しかしそれを知って経験したからこそ幸福だと言えるような価値観の大転換という事が人生には何度か起きるものです。

幸せとは、一度手に入れたとしてもずっとそこに留まっていられる保証はありません。むしろどんな幸せもいつかは失われるものだと言えるでしょう。ですから、幸せを感じさせてくれる出来事が連続的に起きるような事に幸せを見出すのが賢明だと私は思います。つまり、タイトルにしたように「誰かに喜ばれる事を喜べれば幸い」なのです。誰かに何かをしてあげて、感謝された事を幸福と感じられれば、それは繰り返す事が可能ですし、感謝の連鎖は少しずつ世の中を明るく良くしてくれるでしょう。